Wed. Aug 01, 2007 馬鹿の相手はもういやよ [長年日記]

_ 馬鹿っていうか

あたかも「意見」を言っているようで、その実、「自己愛に満ちた客観性のない自分のこと」をしゃべりたいだけの人。

その「自分って何?」という迷いを一般論の衣を着せて、いかにも「一般化された考え」のように主張するのはやめてくれ。しかもカッコイイと思っているから始末が悪い。相手するのも馬鹿らしい。愚痴とかならまだしも、「世界平和」とか、「真理」とかにかこつけるのは、うっとおしいよ。たんに「自分」が見出せてないだけじゃない。かっこつけないで、とことん探せば?自分を。ないけど。そんなもの。ていうか、探せば分かるから。そんなものないし、必要ないってことが。でも、徹底的にやったら見えてくる地平もあるし、がむしゃらにとことんやるのは「かっこ悪い」って思っているかぎり、何も見えてこない。でも、本人は見えているつもりなのが、カッコ悪いし、うっとおしいし、仲間意識をもたれても、迷惑だ。突き抜けるためには、それなりの努力が必要なのだよ。

_ それとは別に

何事も専門家になるのは大変で、がむしゃらに打ち込まなければいけない時というものがあると思う。わき目をふらない期間が必要だと思う。

私は、専門家になるべく全てのソースとリソースをつぎ込んでいるわけだし、人生のある期間それをすることは、「バランス悪い」とも思わないし、それが出来ないなら、この道に入るな、と言いたいけれど、「好きなことが仕事にできていいよね」のヒトコトで済まされるのは、どうにもやりきれない。何も捨てているつもりはないし、選択のひとつであると割り切っているけれど、「好き」なだけでは、出来ないことだと思っているし。「好き」なものを、ミリ単位まで切り刻んで、徹底的に批判的に検証することの苦しみもあるということをそういう人たちは分かっていない。まあ、私の愛情は歪んでいるので、それすらも楽しいんだけど。でも、「楽(らく)」では決してない。安定もないし、保証もない。あー、もう、そんなことを言うなら、覚悟を決めてやってみろっていうんだ。

_ そういう人たちは

自分が何者でもないことが判明するのがいやなんだと思う。穏当な言い方をすれば、何かをして、「結果」がでないことが怖いんだと思う。また、「何か」をどれにするか決めるのが怖いんだと思う。私もそうだったからわかる。打ち込む対象を「決める」ことと、それに「打ち込むこと」には、覚悟が必要だし、覚悟を決めるのは怖い。それはよーく分かるけど、その迷いを歪んだ形でこちらにぶつけるのは、お願いだからやめてくれ、と言いたい。

抽象的に、抽象的なことに逃げていても、なにも問題は解決しないんだよ。腹を決めなさい。

_ まだまだ私も甘い

あたかも考えているかのようにdisguiseしている人たちに、まだまだだまされる私の甘さよ。そうでない人と話していると、いくら話してても体が軽いのに、そういう人たちとの会話はものすごく疲れる。そういう人たちは、私をカモにするので、いいかげん逃げ方を覚えなきゃ。