Thu. Jun 12, 2008 自己評価 [長年日記]

_ 最近

その人と話していて、その人に反映される自分の像が気持ち良い人とだけ付き合おうと思った。

男Aと会話をしていると、自分が素直でおもしろくてオープンマインドで誠実で親切で女らしくて有能で知的な素晴らしい女の子である気分になる。そして、彼と居る時の自分が自分で好きである。そういう気分になる。別にAが私をおだてて褒めたおしてくれているわけではないが、言葉の端々に彼が私をそういう風に評価していることが感じられるからだろう。

それに対して、男Bと話していると、自分がみっともなくて仕事も無能で(評価されてなくて)もてなくて可愛げのないつまらない女である気分になる。そして、彼と居るとき、私は私が好きでない。別にけなされているわけではないが、多分、彼が私のことを、そう評価しているという風に感じるのだろう。

これはなにも、対男関係だけでなく、誰といてもそうであることに最近気が付いた。他の人の目に映る自分、ってやつだ。時間は有限であるから、私は、私のことをおもしろくて楽しくて可愛くて良いひとだと思ってくれている人と仲良くしたい。一緒に居ると自分がつまらなくてえらそうで無能で色気がなくて男っ気がなくて大したことをしていなくていつか失敗すると思える相手とのお付き合いは、ちょっと遠慮したい今日この頃。最初は、そのように感じる私側の問題だと思っていたけど、どうやら、相手の目に映る私の像みたいだから、自分を見くびっている人と必要もないのに付き合うことを許すのは自分に対して失礼かもしれないと思った。

話は変わるが、AともBとも別れて、新しい出会いを求めている最中に知り合った男Cと話していると私は私の姿が見えない。多分、彼の目に私が映っていないのだろう。対して、同様にして知り合った男Dと話していると、私はセクシーな女になった気分になる。Dが私をそういう風に見ているのだろう。ゆえに、CもDも私を気に入ったらしいが、Cに対して食指が動かないのは、その目に私が映っていないからだろう。そういう男は、結局ナルシストであることが多いのだよ。Dは中々よい。惜しむらくは、干支一回り以上年下であることだ。なんともはや。

こういうのもある意味、「出会いがなーい」っていうんだろうな。出会いカモーン!